皆さん、こんにちは。
土井けいじです。
先日、付き合いの長い友人と、久しぶりに一緒にラーメンを食べに行きました。
僕もその時初めて知ったのですが、その友人は、ラーメン屋でのアルバイト経験があるらしく、ラーメンに纏わる雑学を披露してくれました。
「実はラーメンって、チャーシューが載っている方が正面で、そっちをお客さんの方に向けるように提供するのが本来なんですよ」。
40代、ベンチャー経営者。これまで様々なことを学び、経験してきましたが、これはさすがに初耳でした。
ということで、今日のテーマは「正面」についてです。
■意識していないだけで、何事にも「正面」がある!
友人から初めての雑学を聞かせてもらい、昔話も交えながら、今後のベンチャー経営について、ひとしきり話の花を咲かせたあと、ラーメンをきれいに平らげ、お手拭きで机を拭いて席を立つ。
領収書を手に取り、お金を払う。
財布から取り出し、手に取った100円玉を見て、ふと思う。
そういえば、小銭にも表(つまり、正面)があるんだよな。
小さい頃「100」という数字が書いてある方が表だとばかり思っていたのに、実はそちらが裏だと知って、衝撃を受けたこともあったな。
ベンチャー経営者として、毎日お金のことは考えているのにも関わらず、全く意識はしていなかったけれど、お金にも表(正面)がちゃんと存在している。
―ひょっとすると、僕が全然知らないところに、「意外な正面」があるのかも?と思い、ググってみました。
(ことあるごとにググってしまうのは、ベンチャー経営者の性というものです)
すると、意外や意外、あの丸いお盆にも「正面」があるのだそう。
「木目が横になるように持つのがお盆の正面」なんだそうです。
木目は縦には割れやすいが、横には割れにくいという性質があるので、安全性に配慮したうえでのことなのだそうです。
そして、ベンチャー企業のオフィスにもたまに飾られていることのある地球儀。
地球儀にも正面があって、右に傾くように置くのが正面なんだそう。
円や球など、左右対称なものにでも正面が存在するのだということに、驚きました。
■人間にとっての「正面」ってどこだろう?
さて、ここでふと浮かんでくる疑問がひとつ。
―人間にとっての「正面」ってどこなんだろう?
「裏の顔」とか、「真正面から想いをぶつける」なんて表現があるのだから、きっと人間にも「正面」はあるのだろうと思います。
しかし、では一体、その「正面」というのはどこなんだろう?
そんな風に考えると、なかなかすぐには答えが浮かばなかったのですが、ひとまず僕が用意した答えは「目がついている方が正面」。
これであれば極めて明確に、「正面」というものを定義できる。
ベンチャー経営者にとって「明確さ」はいのちですから、これはなかなかいい答えだと思ったのですが……。
意外な落とし穴がありました。
■注意すべきは「前面」と「正面」
僕が陥っていた落とし穴。
それは、「前面」と「正面」は別物なんだ、ということです。
別に僕が最初からこの落とし穴に気づけていたわけではないです。
色々な物の意外な正面について調べていると、Googleの検索結果で「正面 前面 違い」というタイトルを見つけ、「確かに、言われてみれば、『前面』と『正面』って何が違うんだろう?」と疑問に思って記事をクリックし、読み進めていく中で、、下記のような違いがあるのだと学べたから、この落とし穴に気づくことができました。
前面:あるものから見て前の方の面。
正面:ある建物やモノにおいて、正式な入口があるとされている面。
なるほど。「正面=前」と、ついつい考えがちで、僕もそんな風に考えてしまったばかりだけど、「前」って、その時向いている方向によって変わる。でも「正面」はいつだって変わらない。このことを踏まえると、確かに「前面」と「正面」は全くの別物だな、と納得できます。
■人間の、僕の正面はどこなんだろう?
では、自身が落とし穴に落ちていたことを自覚したところで改めて、人間にとっての正面とは?と考えてみる。
しかし、「人間とは?」という問いは、かなり抽象的だし、1人のベンチャー経営者が「人間」を語るのは、はなはだおこがましいことだな、とも思うので、「僕」という存在にとっての「正面」について考えてみることにします。
僕が一番多くの時間を割くのは「ベンチャー経営」なので、「ベンチャー経営をしているときの顔」が、僕にとっては正面なんでしょうか?
「正面」は「正式な入口があるとされる面」なので、僕が自分で「ベンチャー経営しているときの顔が、僕の正面です」と定義さえしてしまえば、きっとそれが僕の正面になります。
―でも、それだとなんだかちょっと寂しいんです。
少なくとも、僕の家族や、僕がプライベートで仲良くしている人にとっては、むしろ仕事をしていない、オフモードの僕こそが、彼らから見た僕の「正面」でしょう。
それなのに、「ベンチャー経営のときの顔が正面」と定義してしまったら、僕は彼らに「正面」でない部分しか見せていないことになる。
でもそうではない。「他人を大切にしなさい。そのために、どんな相手にも、自分のすべてをさらけ出しなさい」、そんな風に教わってきた僕にとっては、彼らに見せている面だって、立派な「正面」なんです。
―そうなると、僕にとっての「正面」を定義することが益々難しくなってきました。
しかし僕は、「土井けいじ」の正面を定義することは無理でも、「ベンチャー経営者 土井けいじ」の正面であれば、明確に定義することができます。
■ベンチャー経営者 土井けいじの「正面」とは?
ベンチャー経営者 土井けいじの正面は、単刀直入に言うと、「全部」です。
どの面もすべて、ベンチャー経営者の僕にとっての正面です。
別に答えをはぐらかしたいわけでも、何か哲学的な示唆を示したいわけでもありません。ただ単に、「どこをとっても経営者として恥ずかしくない自分でいなさい」という、僕の恩師の教えを、そのまま忠実に表現したまでです。
そもそも、ベンチャー経営者に必要なことは、「正しく生きること」だけです。
これは、何も僕オリジナルの考え方ではありません。僕が尊敬してやまない稲盛和夫さんも、「経営者として必要なのは、真っ当に生きることだけだ」という意味のことをおっしゃっています。
いつだって、どこにいたって、誰に対してだって、全身全霊で行き、あらんかぎりの誠心誠意を尽くす。その積み重ね、異常なほどの量の積み重ねが「人望」となり、その「人望」がやがて「仕事」になる。
これがベンチャー経営の、というより人生の、決して抗うことのできない原理原則なんだと、僕は考えています。
人と会うのが仕事、人に生き様を見られるのが仕事のベンチャー経営者にとって、「人からどう見られるか」は生命線です。
別に人の顔色を伺って生きろ、ということではなくて、「いつどこで、どんな人が見ているか分からない。だから、いつ誰に見られても恥ずかしくない自分でいること」が大事だと伝えたいのです。
例えば、仕事においてとんでもない実績を上げていて、普段はとても人に対して丁寧に接しているベンチャー経営者が、家族や友達に対して、乱暴で横柄な態度をとっていたらどうでしょうか?
―少なくとも何人かの人は、その社長にがっかりし、なんだか裏切られたような気持ちになるのではないでしょうか。
これぞまさに、「一貫性」の大切さを物語る例えではないでしょうか。
そして、この「一貫性」を大事にしなさい、というのが僕の恩師の教えであり、僕が後進たちに伝え続けていることに他なりません。
■『継続は力なり』 結果を出すには「努力の一貫性」!
そして、この「一貫性」が大切になるのは、上記で述べたような「人格」に限った話ではありません。「努力」についても同じことが言えます。
自分で目的目標を決め、それを実現するために「ここで頑張るぞ!」というのを一度決めたのであれば、それを継続していくこと。
これが「努力の一貫性」です。
もちろん人には「得手不得手」があり、「才能」と呼ばれるもののいたずらがあるので、「環境を変えた方がうまく行く」ということも、往々にしてあります。
しかし、この世の中の大概のことは、自身の努力と優先順位で何とかできます。
それなのに、少しうまく行かなかったら、「はい次!」と、どんどん環境や頑張り方を変えていたのでは、本来であれば前進するために使われるエネルギーを、「変える」ことに使ってしまい、望む結果はいつまで経っても得られません。
「こんな風になりたい!」と理想像を思い描いたら、その理想の自分がやっているであろう行動と全く同じことを、日常生活のすべての場面で実践する。
自分の理想に向かって、「結果が出るまでここでやる!」という想いを胸に、誰の目にも「全力だ!」とわかるくらいのエネルギーで頑張る姿。
それこそが自分の「正面」になるわけです。
ぜひこれからも、「人間的に厚みがあり、仲間に恵まれ、経済的にも祝福され、仕事が死ぬほど面白い!」と心から言える自分の理想に向けてひた走り、どんなときも、誰に対しても一貫した姿勢を貫いていく、そんなベンチャー経営者人生を歩もうと思った、土井けいじでした。