【好奇心と探求心の合体!つけ麺】

皆さんこんにちは、土井けいじです。

先日、五反田の人気ラーメン店【いしい】さんへ行ってきました。

とても美味しそうなラーメンがたくさんありましたが、こちらのお店ではつけ麺(中華せいろ)が人気メニューとのことで、いつもラーメンばかり食べているので、今回はつけ麺を食べてみることにしました。

暑い夜が続き、食欲があまりわかない夜が続いていたのですが、つるつるモチモチとした冷たい麺ののど越しがとても良く、スープの出汁がとても濃厚かつくどくない味わいで麺とよく絡み、あまりにもおいしかったので、追い飯を頼んで残ったスープと雑炊のようにかきこみ、ついつい食べ過ぎてしまいました。


ここで、少しつけ麺の歴史に触れてみたいと思います。


日本のつけ麺の発祥には諸説存在しますが、1955年に東京都の大勝軒にて、山岸一雄さんが開発・商品化したという説が定説になっているそうです。
山岸さんが17歳の時に勤めた修業店で、残ってしまった麺を、スープと醤油を湯のみ茶碗に入れ浸して食していた賄食がベースであるそうで、このころ山岸さんは、親の従兄弟であり、「兄貴」と慕っていた坂口政安さんと一緒に修業をしていたとのこと。

その1年後、坂口さんが独立し大勝軒(中野店)を立ち上げた際、山岸さんは行動を共にしました。後に坂口さんが別の場所に本店を構えた事により、山岸さんが中野店の店長として任され活動していた頃、引き続きこの賄食を食していたとのこと。それを見ていた客の関心を惹きつけ、試食したお客さんから好評価を得たことから「これをメニューにしたら売れるかもしれない」と感じ、様々な試行錯誤の後、冷やし中華の甘酸っぱさを参考に酢と砂糖で調味し、麺の量は見栄え良くするためラーメンの3割増しにして、メニューの一品「もりそば」として完成させたことが、つけんめんの元祖といわれています。

また、その3年後に坂口さんの本店からもつけ麺と同様の「つけそば」が独自研究開発されて商品化となったとのこと。
1961年に山岸さんが東京都豊島区東池袋に「大勝軒」(東池袋大勝軒)として暖簾分けした際も「もりそば」の味を受け継いでおり、甘酸っぱいつけだれと弾力ある麺の食感とボリュームで人気を博したそうです。


今では非常にメジャーとなったつけ麺も、発祥は賄飯だったとの説が有力です。
お客さんの好奇心と、ラーメン屋さんの探求心。
そんな粋な心ががギュッと合わさったのが、このつけ麺ではないでしょうか。

ビジネスにおいても、僕自身そんな粋な心を忘れずに、
新しい価値を発見できるよう努力していきます。


土井けいじでした。